CREATOR

クリエイター × 池田絣工房
佐藤 幸子
CREATOR INTERVIEW 01
佐藤 幸子
BEAMS Planets ディレクター
久留米絣の美しさを
日本だけでなく世界中に広めたい

久留米絣の生地を使ったブランド「CATHRI」を展開しているBEAMS Planetsディレクターの佐藤幸子さん。久留米絣との出会いから池田絣工房との繋がり、「CATHRI」ブランドを立ち上げた経緯など、池田絣工房の職人たちと一緒に向き合う久留米絣とブランドにかけた想いについてお話をうかがいました。

福岡の地で、久留米絣と出会う

―2020年春に新たに誕生した「CATHRI(カスリ)」のカタログを拝見しました。「BEAMSがこの時期に久留米絣と出会われたのか」「クリエイターの方の手にかかると、久留米絣がこう表現されるのか」という2つの驚きがありました。佐藤さんと久留米絣、そして池田絣工房さんとの出会いからお話をうかがってもいいですか?

佐藤さん:
最初に久留米絣を知ったのは、2018年の秋です。福岡で開催された「KOUGEI EXPO 2018」という工芸展へ弊社からも出展※していたのですが、久留米絣もブースを構えられていたんですね。そこでご年配や若い職人さんたちへずっと色んな質問をさせて頂いたのが最初です。その時は仕事感覚では無く、久留米絣の成り立ちやストーリーがとにかく不思議で面白くて。出会いはそこですね。

2019年になって、「福岡県が半期に1度、モノづくりを応援する事業がある。今年の下期は久留米絣だ」という話を耳にして。「ぜひやりたい!」と急遽「久留米絣でリラクシングウェアを作る」という企画書を作り、県へ提出させていただきました。

無事に採択されまして、10月には20軒くらいの織元さんに生地をお持ちいただき、お会いする機会を設けていただきました。「久留米絣のことはまだまだわからないけれど、とにかく、一生懸命こういうことを考えています」と熱意をお伝えし、生地を見て、触って、気になる久留米絣をランダムにピックアップさせていただいて、その中の1軒が、池田絣工房さんでした。

翌日には実際に池田さんの工房にお邪魔して3代目であるお父さんに「久留米絣を使うにあたってのルールやしきたり」をお尋ねしたんです。失礼が無いようにしたいと思って。そうしたら、「久留米絣は元来、カジュアルなもの。当時の若い女の子が開発したものだし、敷居の高いものでも何でもなくって日常着だから、好きにやったら?」とアドバイスして下さって…それで肩の力がふっと抜けました。ちなみに、その時にお父さんが着ていらしたものからアイデアが生まれて、それがファーストコレクションの一部に使われています。

それにしても、とにかく早かったです。まだ企画の段階で帰京する新幹線の車内で全ての絵を描いて、漠然と私がエレガントなイメージを持つ「C」から始めるブランド名「CATHRI」にしたいと決めて。織元さんたちとお互いに詰めていって色々な工程を組んで・・・年明けの3月にはカタログも完成して、リリースですから。新たなブランドとしては非常に早かったですね。

久留米絣を、世界へ届ける

まだ始めて間もないですけれど、このプロジェクトを通じて出会い、色々なことを教えてもらって学びを得ています。洋服を日本人が着るようになってからの布の歴史を知ることが出来て・・・本当にありがたいと思っています。

で、アイデアが出て迷った時に池田さんに連絡すると「気にせんでもええ」とか「こっちはどうにかする」って。もちろん、織物を作ってらっしゃる織元さんとして尊敬もしているんですけれど、「ビジネスとして数字を作る」や「皆さんの手に届かない高価なものではなく、普通に手に取って着ていただけるものを作りたい」という私の想いを深く理解してくれているということが、とにかくありがたいです。

そして織元さんってお互いライバルなはずなのに、池田さんは久留米絣の業界を横断して、例えば「あそこはあれが得意だよ」って人をつなげてくださってありがたいです。
「久留米絣を産業として残す」ためには、それぞれの織元が得意としているものを扱わないといけない。きちんと販売するには、うちのスタッフもきちんと知って説明できるようにならないといけない。加えて、ビジネスとして数字を作ることも重要ですが、BEAMSはアパレルのセレクトの中でも歴史が長いので、「伝えることの責任」も重大だと思っています。私自身も久留米絣をしっかりと学んで、「嘘が無いスタンス」でうちの若いスタッフたちに伝えなければと感じています。

―伝えることの重要性についておっしゃっていました。BEAMSの「CATHRI」のコレクションから新たな角度から久留米絣の魅力が伝わって、今後、久留米絣を採用されるアパレルさんも出てくるのかなと。産地である福岡の人間としては、やはり期待するところではあります。同業の方の動きをどう思われますか?

私は「CATHRI」を有名にすることではなくて、世界中の色々なアーティストに「久留米絣を使ってモノづくりをしたい」と思わせることが「自分の役目」だと思っています。もちろん、私も久留米絣が大好きだから作りたいものを作りますけれど、もし似たものが出て来たとしても、「真似された」とかそういう気持ちは全くないですね。

世界のテキスタイルの1つとして「久留米絣」があって、その織元さんにきちんとオーダーが入るようになって、この産業が継続していくきっかけになったらと思っています。そして「値段を下げないようにしないといけない」とも思っています。winwinでやり続けるよう、注意しないといけない。久留米絣って、企画から完成するまでに数ヶ月かかるから、いわゆる量産型のファッションのタームで行くのは難しい織物ですよね。だから、まだ急いでファッションをまわしているケースが世の中的に多いですけれど、久留米絣には世界中のアーティストと「良い形」で出会ってほしいです。とは言え、私たちも急かしますけどね。ふふ。そこの両極の世界を、良いバランスでつなげることが出来たら面白いのかなぁと思っています。

  • 「KOUGEI EXPO」は伝統的工芸品への理解と普及を図ることを目的とした「伝統的工芸品月間国民会議全国大会」のこと。吉田カバンとBEAMSのリレーションによって生まれた「B印ヨシダ 」から 博多織とのコラボ商品が「KOUGEI EXPO 2018」開催記念に発表された。福岡県には、7つの国指定の伝統的工芸品(博多織、博多人形、久留米絣、小石原焼、八女福島仏壇、上野(あがの)焼、八女提灯)があり、2018年は久留米絣考案者の井上伝没後150年の節目の年だった。

コロナ禍、この時代のファッション感

―スピード感の話をおうかがいします。コロナ禍も2年目、世の中みんなが疲れてきているような気がしています。「みんな急いでいた形に疲れて、その中で、ファッションに対する意識も変わってきているかなぁ・・・」とローカルである福岡にいながらうっすらと感じています。佐藤さんは、業界のこの状況をどのようにご覧になっていますか?

私の場合は早くて。2014年頃から切り替えてきています。現在携わっている「BEAMS Planets」というレーベルでは、雑貨や長年に渡り持続するもの、ゆっくりと成長していくものを展開していて、「CATHRI」もその一環です。

コロナ禍の2020年にこの「BEAMS Planets」の売上げが上がったことで、「世の中の皆さんのマインドが変わった」ことは数字で実感しました。「年齢、性別、サイズ感関係なく、欲しい人が欲しいものを、自分で選ぶ世の中」はもう既に始まっていると。私には、今の在り方が普通だと思います。

アーティストが作ったものが3ヶ月後にはセールになってしまうって悲しすぎるじゃないですか。生活の中でデザインしたものが、10年間、20年間とリアルでもネットでも売られていたらいいなぁって。

ちなみに「CATHRI」のファーストシーズンについてはリリースしてすぐに1回目の緊急事態宣言が出てしまい、店頭でご覧いただく機会が1週間程しかありませんでした。タイミング的にはネガティブだと思うのだけど、私にとっては、実際に着用し、洗濯し、考ええる時間にできました。「目の前にある日本文化の振り返り」や「CATHRIをもう一段階真剣に考える時間」だった気がしています。

―なるほど…今のこの時期だからこそその人らしくリラックスできる服・・・。「CATHRI」の商品、サイトでも拝見しました。10代の女の子が着ても、ご年配の女性が着ても、着る人をその人らしく際立たせるものだなぁと思いました。また、色や風合いが年を経て変化して、ある意味、育つものでもあるなと。代々引き継がれても素敵ですね。

そうなったら良いですよね。今までのファッション業界では年齢を重ねるってネガティブに捉えられる時代が続いてきたけれど、もはやそうではなく、1人の方が少しずつ大切にコレクションしていって、大人になって、洒落たおばあちゃんになって・・・というのが出来たらいいなぁと。そうしたコンテンツがもっと日本で増えたらいいなと思っています。

―お話をうかがっていて、様々な要素に関係なくという点が、羽織る衣である「着物」に通じると感じました。そして「CATHRI」で表現しようとされていることって、今の時代に求められているものとすごく合致するのかなと。

合致すると思います。このコレクションは藍と藍でコーディネートが全部合いますし、着ていて気持ちが良いんです。うちのスタッフもそれぞれに着こなしています。「自分が思ってもいなかった表現を皆さんがしてくれると面白いなぁ」「皆さんが体形や年齢を愛せるようにしたいなぁ」と思っています。

―織元さんも手織りの方から機械織りの方までいらっしゃって、ユーザー側にも色々なバリエーションの方々がおられて・・・もちろんデザインというお仕事が大前提ですが、佐藤さんが様々な方向に向けて編集作業をされているように感じられました。

ふふふ。私は「友達の友達はみな友達だ」で「タモさんプロジェクト」って冗談で言っています。みんなが仲良くなって「CATHRI」っていうブランドが成長していくのを楽しみにしてくれたらいいなと。「人がつながるツール」として、洋服やブランドっていう1つのキーワードがある時、そして皆が色々なアイデアを出して新しいクリエーションをする時、「久留米絣」という文化はすごく魅力的だと思います。ムービーにしても写真にしても、「作る工程全て」が絵になる格好良さ。これを、世界中の人に見てもらいたいと思います。

―ちなみに、「久留米絣」のストーリーなどは、スタッフの方々が情報をお伝えするにあたり重要な要素の1つになっていますか?

うーん…今はまだ「久留米絣」について学んでいる最中ですね。ファーストコレクションはわからないまま、セカンドではわかるところが少し増えて・・・という感じです。「全部をわかっているからかっこいいものを作れる」ではなく、「久留米絣」っていうキーワードを通じ、イマジネーションが生まれたものを世の中に出したいなと。
そして、単に「売れる服を作る」という作業はもうしたくないですね。「これがこれになったら、ね、かわいいでしょ!」と思いながら作っています。久留米絣と私と「CATHRI」がこれからどうなっていくのかはわかりませんが、とにかく今は素材と向き合い、新しいものを生み出し、数字を検証して・・・という作業をずっと続けている感じです。

―新たなシーズンも、向き合う好奇心やワクワク、持続していく感じでしょうか?

そう。面白くてしょうがない。織元さんと話していて、急に「あ!わかった!」とか、「だからこうなるのか!」って。モヤモヤだったことがクリアになったりするんです。
今回は、カタログもカメラマンもうちの内部スタッフです。気があって、才能があって・・・というメンバーで全部をやりたい。池田さんとの出会いも運命だし。すごく真剣に、久留米絣というツールを使ってみんなで楽しんでいます。

伝統を尊重しつつ時代に対応。
誇れる「CATHRI」を

―今後の関係性についておうかがいします。池田絣工房さんを通じて、
これからもっと久留米絣や産地を理解していく・・・といった流れにあるのでしょうか?

う~ん、年に1回「ただいま!」という感じですね。私は東京で、色々なものを吸収して戦って、1年後にまた帰ったら、「最近どう?」みたいな。里帰りの親戚感がありましたね。他の産地のアーティストの方でも、やはりそういうおつき合いの方がいらっしゃいます。
伝統産業の産地に、東京のファッションのアーティストがいきなり来ても、すぐにはセッション出来ないと思うんです。池田さんのようにキーマンになって下さる方が大切。その土地、その文化を浸透させようって思っているキーマンがいると、産地は良い形で盛り上がると思います。

私の場合は、仕事柄、モノを介して仲良くなるんです。池田さんとも久留米絣を介したことでこうして仲良くなれました。池田さんの織物と出会った時、「感度の良さや佇まい」がとてもファッション性があると感じたから。

―とにかく最初は「これ好き!かわいいなぁ!」みたいな
好奇心から。

そうです。私はそれがものすごく早いみたい。パッと「これ!」って感じです。それこそ「CATHRI」については、最初にお会いした頃はプライスゾーンも未定でした。色々な工程での積み上げだから。大変さも何もわからないし、リアリティのあるプライスゾーンで売りたかったので、安くしてほしいと思っていましたしね。

―素朴な疑問で・・・他のアパレルの事業者さん、重要無形文化財である久留米絣を扱うことのハードルの高さを感じておられるかなぁと思います。でも佐藤さんは、出会いから6カ月という短期間で流通に乗せるまでをされたわけです。そこには大変なこともあったと思うのですが、それすらも、楽しめたのでしょうか?

たぶんハードルは高いと感じていると思います・・・でも、クリエイトする側でも大量生産に飽きてしまっている人っているんです。関わっているメンバーをみんな友達にしちゃう技で、「ややこしいけど、めちゃくちゃ良いから!だからやんない?」「パリでワインおごるから!」って言っちゃいます。世の中、色んなことが簡単になってしまっているから、その大変さこそ、面白がって楽しんでます。

とは言え、私たちにとっては「CATHRI」のようなプライスゾーンのものにリピートが入るってすごいことですけれど、実際のところ織元さんの取引量からすると少量ですよね。だから本当は喜ばれていないかもしれない。けれど何十年って続けた後に、トップメゾンから発注が来たら喜ばれるかもしれない。今はまだ途中で、何も成し遂げていないんですけれど、でも「いつかはパリでワインを囲んでみんなで乾杯する」って決めているんです。

―種蒔きの大変さも楽しむと。では一旦ここでBEAMSとの関係性について、4代目の大悟さんに質問を。お話をうかがっていて、「共同作業」という感じがすごくしています。プロジェクトが始まって2シーズン目に入り、今現在はどう感じていらっしゃいますか?

最初お会いした時は「手織りは選ばれないだろうな」と、正直なところ前のめりな感じではなかったんです。が、声を掛けてもらいました。日本のファッション業界でBEAMSと言ったらトップの印象です。時間は無かったけれど、「BEAMSが久留米絣を扱ってくれるなら」と頑張って間に合わせました。「儲かる・儲からない」はさておき、「久留米絣を知って、広めたい」と思ってくれたことが貴重なので、思う存分使ってもらいたい、出来るだけ自由に使ってほしいと。良いものが出来れば、また違うブランドからお話が来てつながるかもしれないし、この産地も元気になる。そして作った職人にも自信になる、誇りになる。家族に自慢もできるというか。

―自信、誇り・・・すごく大事ですね。「CATHRI」のカタログや掲載誌をご覧になった織り子さんやご家族も「私が織ったっちゃん!」や「あ!うちのばあちゃんが織った布!」と、きっと嬉しくなると思います。想像するとちょっとジーンとします。これから先が楽しみですね。

大悟さん:
そうですね。それと、国内だけじゃなく海外で評価されたら、嬉しいと思う。そうなっていきたいですね。

佐藤さん:
池田さんのようにキーマンになって下さる人がいないと、東京にいて出身地じゃないものを扱うって、実はこわいです。産地にルーツがないので、「ひょっとしたらすごく失礼なことをしているのかも・・・」って。私は産地の方々のマインドや空気感については気づける距離にいないので、その都度、池田さんたちと連絡をとって「今まで久留米絣に携わってこられた世代の方々のご意見」をうかがっています。

一方で、東京で起きているファッション、ビジネスの流れをお伝え出来ることもあるから。距離感は離れているけれど感覚的には同じタイミングで物事を感じて、あんまり急がずに、お互い無理が無いように、ゆるく長くお付き合いしていきたいと思っています。
「誰かだけが儲ける」っていう形だと続かないので「バランスを取りながら、関わるみんなが楽しむ」というのが重要だと思います。

これからについては・・・久留米絣を学ぶことは頑張りつつ、世界を目指して動いています。今はリモートでコレクションを発表する時代なので、今年のコレクションは動画などで海外のバイヤーにも情報を出していきます。これからの「CATHRI」がどう育っていくのか、見ていて下さい。

―では、いつかはプロジェクトの皆さんで「パリで乾杯」ですね。福岡県に住む人間として、久留米絣がこの地に産業として残っていること、そしてBEAMSと久留米絣の新たな出会いを嬉しく思います。「CATHRI」と久留米絣、池田絣工房さんを巡るワクワクが、10年20年と続いていくことを心から楽しみにしています。

PROFILE

佐藤 幸子SACHIKO SATO
BEAMS Planets ディレクター
1974年生まれ。1995年にBEAMS入社。ショップスタッフを経て、1999年より雑貨に特化したレーベルのバイヤーに。その後、2010年よりのディレクターとなり、2014年からは“ニュースタンダードキオスク”をコンセプトにしたのディレクターに就任。それと並行し、2020年春に誕生したブランドのディレクターも兼務。
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