CREATOR

クリエイター × 池田絣工房
野口 和彦
CREATOR INTERVIEW 02
野口 和彦
オカモト商店 代表取締役
変わりゆく時代、これからも久留米絣と共に

昭和・平成・令和と続く久留米絣問屋として、オリジナルブランド「儀右ヱ門」を展開するオカモト商店。アパレル転換期と言われるこの時代に「久留米絣を知り抜いているからこそ、魅力的に編集・情報発信出来る」という地元問屋の在り方、そして「これからの久留米絣」について、野口和彦さん・野口英樹さんにお話をうかがいました。

久留米絣の問屋として

―久留米絣産地である筑後地域を代表する問屋であり、近年は様々なオリジナル商品を展開していらっしゃるオカモト商店と池田絣工房とのつながりや、「地場産業」としての今後の「久留米絣」についてお話をうかがえたらと思っています。最初に、池田絣工房とのお付き合いの始まりから教えていただいても宜しいですか?

代表取締役 和彦さん:
当社は、久留米絣の卸しとして私たちの曽祖父が創業しました。当時は、「反物」として生地だけで東京なり京都なりへ出していたんですね。父の代からオリジナル商品を作り始めていまして、池田さんとはその頃からお取引させていただいています。もう40年位かな?

オカモト商店 代表取締役の野口和彦さん

―なるほど。オカモト商店として「オリジナル製品の立ち上げ」の頃からなのですね。縫製業の方とのお付き合いが始まったのもこの頃ですか?

和彦さん:
そうですね。こういう洋服っていうのはデザイナーがいてのことだし、ちゃんとした縫製工場なりがあってってことですよね。だから最初はおそらく洋裁をされている個人の方、内職の方っていうご縁を手繰り寄せるところから、先代である父たちが始めたのだろうと。そうこうしているうちに、専門のデザイナーやパタンナーを抱えたり。「量産化」は仕組みが必要じゃないですか。だから専門的な機械を揃えるなりして、少しずつ歩んできたんだと思います。

オカモト商店 専務取締役の野口英樹さん

―では、その辺りの自社化も並行してやってこられたと。

和彦さん:
そうですね。縫製をするにしても、個人だと限界があるし。生産管理的な問題もあるし。何せ久留米絣は「着物の幅」ですから。そもそも、携わっている皆さんは洋服の生地でしか縫製をやってきていないんですよ。だから、お互いに信頼関係を築くまではおそらく難航したんだろうと思います。

英樹さん:
今は・・・縫製関係については4社ぐらいと縫製については取引させてもらってますね。縫製工場ってだいたい150㎝幅、120㎝幅という生地でやるんです。でも、久留米絣って小幅ですし、長尺なんですよ。それこそ裁断台だって機能が違うんです。絣は生地幅を変えるわけにいかないし、長さを変えるわけにもいかない。その中で、アジャストしてやってもらっているわけです。当然、無駄な部分っていうのも当然あるんですよね。

-確かに、久留米絣を「洋服生地」として考えると、どうしても「ロスの部分=ハギレ」が出てくるなぁと感じていました。その部分は逆説的ですけれど小物展開に活かされたり、商品のラインナップの広さにつながっているのかなと想像していました。いかがですか?

英樹さん:
そうですね・・・1つは、ハギレの部分を活かしていくっていうのもあるし。そしてもう1つは我々のパタンナーが「いかにして裁断くずを出さないようなパターンにできるか」というのを意識してやってくれているという面もありますね。1枚の生地に対し、どうすれば効率よくパターンが取れるのか・・・「収率」と言うんですが、だいたい8割以上が優秀かなと思うんです。そこを、9割超えられるように・・・とか、いかに増やすかっていうのを考えながらやってくれています。

―企画・デザイン・パターン・縫製・・・色々な工程の管理をハンドリングされているのですね。全体をハンドリングされている中でのベース、生地としての「久留米絣」ですね。その中でも手織りの魅力について、教えていただけますか?

英樹さん:
池田さんのところは、手織りですよね。何といっても手織りならではの繊細な線の美しさ、あとはしっかり1つ1つの柄があっているということです。もちろん、「手織りならでは」ということでご愛好されているお客様も多いということもまずあるかと思っています。そして池田さんのところは「重要無形文化財」※の条件に合致する絣も作られていますので、「久留米絣としての奥深さ」を知らせていただいているというところ、そこが魅力だと考えていますね。

英樹さん:
(柄の資料を見ながら・・・)これが池田さんとさせていただいてきた仕事のストックです。池田さんとは、「藍染め」と「色染め」とさせていただいていますね。

手織りの織元は藍染めに特化されているところが多いんですが、でも池田さんは「何か変わったことをせないかん」と考えて下さっているので、我々もこうして相乗りさせていただいて。こうやって振り返ってみると、色々と相談させていただきながら、手織りでもこれだけのバリエーションを作ったんだなと。感慨深いですね。

―池田絣工房だけでも、これだけ数多くの柄をオカモト商店としては扱ってこられたわけですね。特に印象深い柄がありましたら教えていただけますか?

英樹さん:
じゃあ、池田さんと最初に始めた頃から扱っている柄で、フクロウ柄を持って来ましょう。(英樹さんにご準備いただきました)

―バリエーションの豊富さっていうのは、池田絣工房の特徴でもありますか?

池田絣工房と最初に始めた頃から扱っているというフクロウ柄

大悟さん:
そうですね、あるかもしれないですね。「うちの場合、絣とは、藍染めとは、絶対にこういうものだ」というこだわりはあまりないので。「これどう?」「こういうの良いかもね」って言われると、「じゃあ、まずやってみようかな」となりますね。

英樹さん:
はい、これがフクロウ柄です。こういうのって、昔だったらのれんとか座布団を作っていたんですよね。小さいバージョンでコースターを作ったりとか。

こっちは、キティ柄ですね。7,8年前かな。サンリオさんとやらせていただいた分ですね。こっちは「アルプスの少女ハイジ」のユキちゃん。うちの35周年記念の時ですね。

和彦さん:
フクロウはのれんに使ったりバッグに使ったり。結構ディフォルメされたデザインですよね。ずっと使い続けられるっていうのはそれなりに理由があるんだと思います。あとは、当時作られたものが、今どのように消費者の方々のお手元で使われているのか気になりますね。平成の1桁台からだったら、30年の歴史があるってことじゃないですか。それはまぁまぁ長いですよ。だからその経年変化が気になりますね。基本的に丈夫というか、耐久性があるわけですよね。

ⓒ 2021 SANRIO CO., LTD. APPROVAL NO. L624851

使われていくうちに馴染んでいって、綺麗に藍が色あせていく。今は「エイジング」って言いますけれども、時間の経過とともに作られていく味。たぶん絣の良さっていうのはそこじゃないかなと思っています。

うちにも昔のものが沢山あります。やっぱり捨てられない。何故なら、作っている方たちを知っているから。無駄にできないっていう気持ちがあります。手織りの良さは、時間をかけて作られている醍醐味、真髄と言うかな、そこなんだろうと思いますね。

©ZUIYO 「アルプスの少女ハイジ」公式ホームページ http://www.heidi.ne.jp/
  • 「重要無形文化財」久留米絣協同組合サイトより
    1.手括りによる絣糸を使用すること。
    2.純正天然藍で染めること。
    3.なげひの手織り織機で織ること。
    この方法で製作し、検査に合格したものが、「重要無形文化財」の証紙を貼られ、市場に出る。
    厳しい条件を満たして作られる久留米絣は、非常に限られた数しか織られない、貴重なもの。

コロナ禍、アパレル転換期。今後の伝え方

―現在、全国で店舗展開をしている中で、店頭に立っておられるスタッフの皆さんの久留米絣への知識の深さであったり愛着であったり…そうした面の育成について、経営者としてどうお考えですか?

英樹さん:
産地にいる我々は織元さんと日々交流があったりするので、店舗スタッフとは違うところもあるとは思います。とは言え、ですね。スタッフがコロナ禍で産地へなかなか来ることが出来ない分、情報はコンスタントにこちらから伝えています。そして彼らが来た時には、織元さんへうかがって知識を得てもらって、それをお客様にお伝えできるようにしてもらっています。

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和彦さん:
実は、月2回社内報を作ってスタッフへ送っています。展示会のことだったり、絣について自分なりに調べたことだったり。こちらとスタッフが「つながっているんだ」という感覚を伝えていくということは、すごく大切なことだと思っていますから。デジタルな技術も活かして、コミュニケーションをはかっていきたいと思っています。

―なるほど。それと、店舗についてですが、このところ福岡市内で従来とは店舗形態を変えて面白い活動をしておられますね。他の久留米絣の関連事業者さんはやっておられないアプローチだと思います。それらの新しい展開についてはいかがですか?

和彦さん:
儀右ヱ門」が全国展開している従来の店舗です。一方で、この4月、「Giemon Live Factory」という名前で新形態の店舗を薬院・浄水通りにオープンしています。デザイナーの個性が強い商品を展開して、従来の久留米絣とは一線を画しています。コロナ禍でのスタートでなかなか大変ではありますが、是非ご覧いただきたいですね。

―コロナ禍になってからというもの、アパレル業界全体が苦戦している印象です。ファストファッションに慣れた我々一般消費者からすると、「久留米絣」というと、一旦手を止め、考えてから選ぶ価格帯の商材、商品なのかなと。また、ネットを通じて世界中の色々な商材を見ることができる状況の中で、今後、どういった形で久留米絣をアプローチしていこうと考えていらっしゃいますか?特に機械織りと比較しても、手織りの場合はその課題はあるのかなと。

和彦さん
今、日本はずっとデフレの状況が続いているじゃないですか。マーケットが無いというか。海外に行ったら、1コイン、つまり500円じゃサンドイッチも買えない。「付加価値を伝える」という部分をきちんと考えると、これからは我々も海外を目指さないといかんと考えています。

Giemon LIVE FACTORY × KIMONO MODERNの「ワンピースときどき、着物。」展

「久留米絣」は、芸術性と日常性の全く違うものが非常に上手く共存している点が良さだと思うんです。芸術性っていう部分でいうと、「ART」としてこれを見立てられるようにしていかなければいけないなと思っています。

一方で、絣の馴染みやすさ、親しみやすさ、日常性ももちろん大切だと思います。そこは日本の市場の中でしっかり作っていけるだろうと思っています。そのためには、絣がどうすればもっと日常生活に溶け込めるのか、つまり「絣を使うライフスタイルの定番化」がものすごく大切です。確かに価格から考えると絣って贅沢品ですから、ファストファッションと比較して10倍の価値をどう見出していくのかということは大切です。とは言え、それに価値を見出す方は必ずいらっしゃると思います。

企業としては、顧客生涯価値をしっかりと考えるということだろうと。お客様が久留米絣をどう感じ、どうとらえ、顧客となっていただいているのか我々はしっかりと考えなければならないなと思います。

例えば暖簾。今はマンション居住者が多い。そこから、「マンションの中で暖簾を使う方がいるのか?」という視点というか。もちろん今はコロナ禍というのもあるので、家の中で快適に過ごせるようにするための商材を提案するというのもあるし、今の生活にフィットするものを提案していくというのもあるし。

だから、その2つじゃないかなと思っています。付加価値をしっかり作り、海外や日本の中でも限られたお客様にアプローチする「芸術性」のあるもの、一方、幅広く「日常性」を提案できるもの、その2つをしっかり作りきるということ・・・会社としても課題を整理して、取り組んでいきたいと思っています。

―久留米絣の中でも作家性の強い織元、池田絣工房のようにフレキシブルに対応している織元、そして機械織りの織元と様々な事業形態がありますね。池田絣工房に対し、事業所同士としてコラボレーションのしやすさというものは、お感じでいらっしゃいますか?

和彦さん:
そうですね、お互いがもっているものを掛け合わせることで、新たなこと、色々なことが出来るだろうと思っていますね。手織りの絣は独特の風合いがあるので、そういうものが作りたい時は手織りの工房にお願いすることになりますし、藍染めを活かした取り組みとか・・・無印良品との取り組みはそうですよね。池田さんのところは高い技術を色々とお持ちなので、お客様のご要望をフレキシブルに掛け合わせたら、今後も更に色々できるんじゃないかなと思っています。

―今おっしゃっていた無印良品との取り組みについて、もう少しお話をうかがっても良いですか?

英樹さん:
もともと、本部の方とつながりがあり、天神大名に新店舗が出来るというタイミングで「無印の商品を久留米で染めることができんやろか」とお声がけが来まして。つまり「何かできんやろか」という「コトが軸」の話から始まりました。「地域貢献」「地域創生」っていう発想で「地域とコラボしてやっていきたい」という考えを無印良品が持っていたので、「だったら池田さんが一緒にやっていきやすいだろうな」となりました。始まってから5,6年になるのかな。こういう企画は、単発だとアドバルーンになっちゃう。「長年やり続ける」というのが、本当の意味での地域共生になるのだろうと思っています。

―そこが入口になって、今まで久留米絣を使っていなかった方が出会われる、お客様になっていくというケースも想定されますよね。

英樹さん:
そうですね。入口になる方々も当然いらっしゃると思います。我々が発信するのと、無印良品が発信するっていうのは、伝播力が全然違うと思うんです。

大悟さん:
我々もです。織元が発信するよりも、オカモト商店さんが発信して下さることで全体にひろがっていきますから。アイデアが自分のところだけでやっているとなかなか出てこないっていうのもありますし、お互いに意見を出し合って、良いものを作って・・・という流れはあるかなと思います。

―他事業者とのコラボレーションの「経験値の蓄積」というものは、織元の皆さんはなかなか積み上げにくいと思うんですけれど、そういう意味ではオカモト商店さんが結び付けられたことで、向上していくっていうことはありますか?

和彦さん:
そうですね。色々な活動の中で出会いがあってそういう話になっていくわけです。今までも、これからもそうだろうと思いますね。それと、やっぱり、それぞれの織元さんで違う味を持っている。我々が吸収し続けることで、新たな成果やつながりが生まれていくのだろうと思います。

産地問屋の自負、挟持

―ここまでお話をうかがってきましたが、「問屋」という事業は、何か編集作業をされているというか、情報の整理をされているのだなと感じました。いかがでしょう?

英樹さん:
そうですね・・・織元が直接っていうケースもあると思うんですけれど、色々な経験をしてきた我々のフィルターを通すと、「この要望だったら、こことあれをすると良い」って判断出来るんですね。我々が長年「産地問屋」としてやってきた自負だと思いますね。

オカモト商店のオフィス外観

―経験値が財産となっているんですね。今おっしゃった産地問屋としての自負、挟持というか・・・そういったものが、「三大絣の中で唯一産業として残っているのが久留米絣」というこの状況につながっている要因であると思いますか?

和彦さん:
それはあると思います。作り手と流通っていう2つがきちんとこの地域にあったというのが大きかったと思います。でなければ、先程の「経験値の蓄積」とかもできなかっただろうと思いますし。作るだけ、売るだけ、では成立しないですから。

―衰退していく産地、産業として生き残っていく産地っていうのは今後も二極化していくのかなと見ています。池田さんにとって大事なパートナーである問屋が産地にいて下さるというのは、とても大きいと思います。いかがですか?

大悟さん:
そう思います。作って流通させようと思ったとして、日本全国を自分で反物かついで持って回れるかって言ったら、まずそんなこと出来っこないですから。そこで専門の方に流通していただけるありがたさですよね。久留米絣って全国隅々まで知っていただいている「知名度」があるわけですけれど、問屋さんのご先祖さんたちに貪欲にまわっていただいた結果そうなっているんですよね。ネットがあるからって言っても、やっぱり流通のプロにお任せするっていうのは大事だと思います。

「久留米商人」の強さですよね。「行商」ね。

大悟さん:
日本全国、どこにでも久留米絣があるんです。ありがたいです。

英樹さん:
戦前から、外国にもたくさん輸出されていました。アメリカなどへも出ていると、当時の記録が残っているんですよ。

―そう考えると、今後も形は変わっていくのかもしれませんが、エンドユーザーである顧客の方々への届け方、「人から人へ」という根本のところは変わらないのかもしれませんね。

オカモト商店のお二人と池田絣工房4代目の池田大悟さん

和彦さん:
インターフェースそのものは絶対変わらないと思いますね。そこらへんは久留米商人のDNAとしてあるんだろうと思います。久留米絣がもっている温かさ、親しみやすさ、多様な魅力・・・「人から人へしっかりと伝わっていくもの」がその魅力だろうと思います。それをしっかりと伝えることですね。

大悟さん:
産地の中でも問屋さんはもちろん、織元同士で横のつながりもしっかりあって、お互い顔もわかるし一緒にやっていこうという機運があるんで。自分のところだけ成長しようって思ってもそこには限界があって、パワーが違うし、広がり方の速度も違うし。切磋琢磨することでお互いに「ヒット商品を作ろう!」って気合が入りますし。
オカモト商店さんでも色々な織元を扱っておられるから、そこには当然競争があるわけですよ。出来るだけ自分のところの生地を使っていただきたいし。機械織り、手織りと言う違いもありますけど、うちは手織りでしか出来ないものっていうミッションに取り組むっていうのが大事かなと。

―「挑戦を続ける」ということですね。
ところで。1つのことに長く携わると年齢が上がっていきます。場合によっては考え方が保守的になったり、何がしか固執してしまう部分は出てくるかもしれないと感じます。池田絣工房のように若い方が後継者としてしっかり入られたということは「伝統産業の継続」の観点から重要だろうと思ったのですが、問屋としてはどのようにお感じですか?

和彦さん:
織元1軒1軒もそうですし、流通の事業者側も新しい人材、考え方は必要だろうと思います。と同時に、新しい顧客の開拓ですね。循環がしっかり回れば、久留米絣自体は続けていけるのかなと思っています。

―話は戻りますが、「芸術性」のところで1つ質問をさせていただけたら。今後の主たる展開として、和装あるいは洋装としてのアプローチなのかという点を教えて下さい。

和彦さん:
「着物を着る」っていうことですよね。この写真は別の織元さんの反物を使っていますが・・・現実的には「現代の着物はこれですよ」っていうアプローチになっていくんじゃないかなと思います。洋服なんだけれど、日本的なエッセンスというか。

―生地として、そして経年変化の美しさとして、お伝えしていくということですか?

和彦さん:
そうですね。テキスタイルとして触れた時の体感っていうのは、日本も世界も変わらないんじゃないかと思っています。

―その中には機械織りもあれば手織りもある。同じステージにあるということですね。

大悟さん:
機械織りも手織りもお互いに仕事を出し合う間柄でもあるし、産地全体であがっていかないと意味がないんです。機械織りの織元さんの仕事が増えると、うちも仕事が増えていくし、そこはお互い一緒に頑張るってことですね。

和彦さん:
久留米絣の業界自体が分業制なんですよね。横のつながりの中で補っていくとか教え合っていくってことですね。産地全体でつながりを持っていかないと、生き残っていけませんから。他の産地とも教え合っていきながら、情報交換しながらだろうと思っています。

―分業に対して、専門的な視点で編集作業をしていただけると、織元はしっかり制作に取り組めるということですね。大事なことですね。

和彦さん:
こういう時代ですし、特にコロナ禍でより変化は加速しているような気がしますね。我々も待ったなしでやっていかないといけないなと思っています。問屋としての使命は、「我々が市場を切り開いていく」ということですね。織元さんが安心して制作に向かえないですから。「市場を切り開く=新しいお客様を生み出す」ということ。そして、「絣の本質、魅力をきちんと伝える」ということです。顧客と共に一緒に歩んでいくことで、織元さんを支えるというかな。先人へのリスペクトというか、先人がやってきたことをもう1度きちんと理解して、繋げていくっていうことだと思います。

英樹さん:
本当に良いものって、実は常に新しい、新鮮さを感じますよね。一方で、いつの時代に作られたものなのか、誰が作ったのかわからない。普遍性のあるものだと思います。そういうものを、これからも届けていくということですね。

オカモト商店 代表取締役の野口和彦さんと専務取締役の野口英樹さん

PROFILE

野口 和彦KAZUHIKO NOGUCHI
オカモト商店 代表取締役
1965年(昭和40年)4月11日生まれ。明治大学商学部卒業後、1989年(平成元年)株式会社西武百貨店入社。その後、1994年(平成6年)に株式会社オカモト商店入社。2011年(平成23年)代表取締役に就任。現在は、「久留米絣縞卸協同組合」理事長を務める。
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